過ぎ越しの祭り ~ヨーロッパと宗教~

 今回、時差ボケも治らないうちに間髪入れずに南仏にも飛んだのは、Paque(過越祭)のご招待に与ったからだ。フランス語で、Paques(←複数形)というと、キリスト教の復活祭のことである。はにゃ?ユダヤ教にも復活祭???と思ったら、こちらはPaque(←単数形)で、もちろんイエスの甦りを祝うものではなく、モーゼがエジプトからユダヤ人を解放した日を祝うらしい。あの、海が二つに割れるやつだ。
叔父さんは朝から料理の仕込み、叔母さんも朝から掃除やテーブルのセッティング。親戚一同も噴水清掃やら椅子磨きやら(20人くらいの晩餐になるので、プールサイドやテラスのプラスティックチェアーを洗って食卓に並べるため)せっせと働いている。まみぞーだけ、べべとなんにもせずにゲストのような顔で申し訳なかった。だって、文化が違うと何をどうすべきか要領が掴めず、ちゃべちゃべ働き損ねるのだ。頼まれない限り下手に動けない。しかし決して頼まれない。ああ、何にもしない嫁だとグチられているかもしれない。リモージュのおばあちゃんの家でも、いつもゲスト風に終わってしまう。
晩餐は、7時半に始まった。立食のアペレティフに始まり、着席してからは、教書の音読とともに(ホントに小学校の国語の時間に生徒が順番に教科書を朗読するのと同じ!)、十戒のそれぞれの項目を象徴する食物を一欠片ずつ食べていく。男性陣が音読し、女性陣は歌だけ一緒に歌うようだ(歌というか、お経の合唱みたいな感じ)。途中、食物の乗ったプレートを掲げひとりひとりの頭上を通過させながらテーブルを一周する場面があり、それは女性の役目らしい。まみぞーはほぼ部外者だが、それだけはさせられた。生放送番組で突然ステージにあげられた観覧客のように、どこか照れくさくて困ったが、大音量で歌い続ける皆の、いくつもの大きなお目めが、「つべこべ言わずにとっととやれ。」と促すように迫るので、つべこべ言わずにやらせていただきました。へこり。大きいお目めは迫力あるんだもの。これが、食事の前のお祈りで、約1時間半。その後羊肉をメインとした食事をし、最後にまた20分ほどのお祈りで晩餐終了。時計は、1時半を回っていた。片づけやらサヨナラのあいさつやらをしているうちに、実際解散となったのは2時すぎだ。長い一日だった。眠気にまかせて就寝が許されるべべがとっても羨ましかった。えへ。

2005年4月23日の日記より。




日本で暮らしていると、宗教を身近に感じる場面にはほとんど遭遇しませんが、ヨーロッパにいたときは、キリスト教にせよ、ユダヤ教にせよ、イスラム教にせよ、いつも宗教がそばにありましたね。日本にいると、どうも、「宗教=怪しい!!!」って公式が成り立って、いろんな意味で興味を持ち損ねてきましたが、近頃孫娘は、宗教への理解なしには、ヨーロッパの文化も美術も歴史も、本当の意味で理解することは不可能だろうという結論に至っています。なので、時々図書館でキリスト教やユダヤ教の本を借りて読んでみたりしています。

そうすると、ヨーロッパの旅先で見上げた教会のステンドグラスたちを、「きれいだね」と5文字で通過してきたことが大変悔やまれます。イスラエルで死海の向こうにヨルダンが見えるよと教えてもらった瞬間も、夕暮れのベツレヘムの生誕教会を訪れたときも、「きれいだね」と通過してしまったのが、残念でなりません!奇跡の人ともてはやす気は全くありませんが、宗教改革者としての、イエスの勇気は称えたい。国民よりも、自分の富と名誉と体裁を守ることに必死だった王侯貴族。民衆と後世のために身を捧げて道を切り開いたイエスとその使徒たち。フランス革命しかり、キューバ革命しかり、いつの時代も、権力者はそれに甘んじ、権力に屈しない強い信念のリーダーが必要になってくる。今の日本の政治にも、そんなリーダーが必要ですよね~。