1850年代アンティークメダイ [L.Penin]
1850年代アンティークメダイ
[L.Penin]
重量: 10g
商品詳細
フランスのアンティークバックル型メダイです。
リボンを通して首から下げたり、スカーフの留め具のようにも使えます。
バックル型というもの珍しいですが、このメダイは19世紀フランス美術史に残る夭折の天才メダイユ彫刻家、ルドヴィック・ペナン(Ludovic Penin, 1830 - 1868) の作品で、信心具を超えて美術品の域に達する名品ですよ!!
この時代のメダイはほとんどが打刻によって製作された小型品で、民衆のための信心具以上のものではありません。
しかしこちらのお品は、鋳造により、圧倒的な存在感のサイズに製作され、美術品レベルのメダイユ彫刻と同様の丁寧さで美しく仕上げられています。
一方の面には、無原罪の聖母マリアの御姿。
雲の上、すなわち天上にて蛇を踏みつけ、下弦の月に立つ聖母は、右脚に体重を掛け、体をわずかに右に捩(よじ)ったコントラポストの姿勢で表されています。
聖母の両手は胸の前に重ねられ、首は左に傾(かし)げられて、天上に視線を向けています。
聖母を取り囲む紡錘形の枠は、ロマネスク及びゴシックの聖堂彫刻に見られる身光、マンドーラを思わせます。
聖母に執り成しを求める祈りの言葉が、枠にフランス語で記されています。
O Marie concue sans peche, priez pour nous. (罪無くして宿り給えるマリアよ、我らのために祈りたまえ。)
紡錘形の枠の外側を、四つ葉形と正方形を組み合わせたゴシック様式の外枠が取り囲んでおり、
二重の枠の間には、"AM" のモノグラム、及びモノグラムから発する薔薇の唐草文様が浮き彫りにされています。
"AM" のモノグラムは「アウスピケ・マリアエ」(AUSPICE MARIAE ラテン語で「マリアの庇護の下に」)を表し、薔薇は聖母を象徴します。
メダイの下部、最も外側の縁のあたりに、「リヨン、L. ペナン作」(L. PENIN A LYON) と記されています。
もう一方の面には二重の円を描き、内側の縁に内接するように、四つ葉形と正方形を組み合わせたゴシックの枠。
この枠に囲まれた内部には、聖アロイシウス・ゴンザーガとラテン語の文字。
S.ALOYSI GONZAGA, ORA PRO NOBIS. (聖アロイシウス・ゴンザーガ、われらのために祈りたまえ。)
聖アロイシウス・ゴンザーガとは:
(アロイジオ, ルイージ, Aloysius Gonzaga)
1568年3月9日 - 1591年6月21日
イタリアの名門貴族の家系に生まれ、父はアロイシウスを軍人にと考えていましたが本人は幼少の頃から信仰深かったと言います。
8歳頃はメディチ家に仕えていましたが重い腎臓病を患い、聖者の伝記を読んで過ごしました。
それでも週に3日は断食したり、寒くても真夜中に祈りを捧げる事を忘れませんでした。
1580年に聖カルロ・ボッロメーオより初聖体を授けられた後、公爵の屋敷で職務をこなすも、貴族社会の腐敗と不道徳に嫌気がさし、家族の反対を押し切ってイエズス会に入りました。
1590年ローマに戻りアロイシウスの前に大天使ガブリエルが現れ、1年以内に命を失うであろうと告げられる幻を見たといいます。
1591年にはローマでペストが大流行し、病人の世話をしましたが自らも疫病に冒されて6月21日、23歳で帰天しました。
1726年にスタニスラス・コストカと共に列聖されました。
若者、視覚障害者、HIV感染者の守護聖人で百合、十字架、髑髏、ロザリオなどと一緒に描かれます。
祝日6月21日
リボンを通して首から下げたり、スカーフの留め具のようにも使えます。
バックル型というもの珍しいですが、このメダイは19世紀フランス美術史に残る夭折の天才メダイユ彫刻家、ルドヴィック・ペナン(Ludovic Penin, 1830 - 1868) の作品で、信心具を超えて美術品の域に達する名品ですよ!!
この時代のメダイはほとんどが打刻によって製作された小型品で、民衆のための信心具以上のものではありません。
しかしこちらのお品は、鋳造により、圧倒的な存在感のサイズに製作され、美術品レベルのメダイユ彫刻と同様の丁寧さで美しく仕上げられています。
一方の面には、無原罪の聖母マリアの御姿。
雲の上、すなわち天上にて蛇を踏みつけ、下弦の月に立つ聖母は、右脚に体重を掛け、体をわずかに右に捩(よじ)ったコントラポストの姿勢で表されています。
聖母の両手は胸の前に重ねられ、首は左に傾(かし)げられて、天上に視線を向けています。
聖母を取り囲む紡錘形の枠は、ロマネスク及びゴシックの聖堂彫刻に見られる身光、マンドーラを思わせます。
聖母に執り成しを求める祈りの言葉が、枠にフランス語で記されています。
O Marie concue sans peche, priez pour nous. (罪無くして宿り給えるマリアよ、我らのために祈りたまえ。)
紡錘形の枠の外側を、四つ葉形と正方形を組み合わせたゴシック様式の外枠が取り囲んでおり、
二重の枠の間には、"AM" のモノグラム、及びモノグラムから発する薔薇の唐草文様が浮き彫りにされています。
"AM" のモノグラムは「アウスピケ・マリアエ」(AUSPICE MARIAE ラテン語で「マリアの庇護の下に」)を表し、薔薇は聖母を象徴します。
メダイの下部、最も外側の縁のあたりに、「リヨン、L. ペナン作」(L. PENIN A LYON) と記されています。
もう一方の面には二重の円を描き、内側の縁に内接するように、四つ葉形と正方形を組み合わせたゴシックの枠。
この枠に囲まれた内部には、聖アロイシウス・ゴンザーガとラテン語の文字。
S.ALOYSI GONZAGA, ORA PRO NOBIS. (聖アロイシウス・ゴンザーガ、われらのために祈りたまえ。)
聖アロイシウス・ゴンザーガとは:
(アロイジオ, ルイージ, Aloysius Gonzaga)
1568年3月9日 - 1591年6月21日
イタリアの名門貴族の家系に生まれ、父はアロイシウスを軍人にと考えていましたが本人は幼少の頃から信仰深かったと言います。
8歳頃はメディチ家に仕えていましたが重い腎臓病を患い、聖者の伝記を読んで過ごしました。
それでも週に3日は断食したり、寒くても真夜中に祈りを捧げる事を忘れませんでした。
1580年に聖カルロ・ボッロメーオより初聖体を授けられた後、公爵の屋敷で職務をこなすも、貴族社会の腐敗と不道徳に嫌気がさし、家族の反対を押し切ってイエズス会に入りました。
1590年ローマに戻りアロイシウスの前に大天使ガブリエルが現れ、1年以内に命を失うであろうと告げられる幻を見たといいます。
1591年にはローマでペストが大流行し、病人の世話をしましたが自らも疫病に冒されて6月21日、23歳で帰天しました。
1726年にスタニスラス・コストカと共に列聖されました。
若者、視覚障害者、HIV感染者の守護聖人で百合、十字架、髑髏、ロザリオなどと一緒に描かれます。
祝日6月21日
商品詳細
made in | France*フランス |
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年代 | 1850-1860年代 |
size | 直径約33mm 厚み:4mm |
コンディション | とても古いものなので、経年・使用による多少のキズや汚れはあるものとお考えください。 |